歴史

1952

1952
郷土出身で中央財界の重鎮加藤武男氏(左)と、栃木県知事小平重吉氏。昭和27年夏、金谷ホテルで行われた両氏のいわゆる日光会談で、日光カンツリー倶楽部建設の弾み車が一挙に回りはじめた。

1953

1952
昭和28年初冬、現在のクラブハウス入口付近から男体山を望む。このありふれた田舎道は後に県道247号(日光〜今市線)に昇格、車の往来も激しい準幹線道路となった。

1953
寒風をついて、建設地・所野河川敷の現地調査。前年秋の候補地調査の結果、建設地に決まったのは当初想定していた山岳地帯から一転しての平坦地、ただし大谷河原に転石累々、石ころ地獄の荒蕪地だった。

1953
現地調査に当たった建設委員たち。前列左から光藤康明、千家哲麿、杉田寧、堤武雄、島田善介、後列左から古川尚彦、加藤恭平、設計者・井上誠一、加藤次郎、金谷正夫の各氏。

1954

1954
前年末の伐木作業に引き続き、昭和29年の年明け早々から各ホールごとの造成作業に。モデルホールとしてまず6番を選定、試験施工に着手する。

1954
6番ホールでの伐採作業。度々の汎濫に見舞われた荒蕪地にも松や柳の巨木は多く、除石とともに伐根には多くの労力を要した。

1954
4番ホール、ティーグラウンド付近の伐根作業。右から張り出した数本の松が今に面影を伝えている。

1954
14番ホールのグリーン造成作業。短いミドルながら、左右の林と松、ガードバンカー、そして奥から速いグリーンがこのホールの難度を上げることになる。

1954
2番グリーンの基礎工事。この辺りはもともと低地だったため、周囲から掘り出した転石、陰石を積上げてグリーン面を高めた。

1954
3番グリーンの播種準備の展圧作業。フェアウエーの整地もグリーンのローラー作業もすべて手作業だった。

1955

1955
開場間近の昭和30年1月、8番ホールで島田善介理事長(初代)が試球を行う。島田氏は、この日金谷ホテルで開催の倶楽部創設発起人会で初代の理事長に選任されたが、わずか20日後に開場を見ぬまま他界された。

1955
18番ホール辺りから完成間近のクラブハウスを望む。最近のゴルフ場のクラブハウスに比べれば、実にこぢんまりとしたロッジ風ハウスだった。

1955
クラブハウス竣工。奥の煙突のある建物が食堂で現在も旧食堂として健在。だが4年後、手前の玄関周りの建屋が火災で消失、食堂前のテラス部分が水害で流失しようとは誰も知る由もなかった。

1955
開場当日の朝、「日光ゴルフ場きょう開場」を伝える下野新聞の予告記事。「海抜五百メートル、日光連峰を背景とする絶景地で・・・」とリポートしている。

1955
小雨降るなか、開場当日のスナップ。名誉会員加藤武男翁を間に左に高橋弥次右衛門、右に加藤次郎、加藤恭平の各氏。

1955
開場記念競技を開催し、名誉会員高松宮殿下が始球式。参加者121名。4月3日にアウト9ホールで仮開場のあと、5月22日にイン9ホールが開場し、18ホールのプレーができるようになった。

1955
開場後間もない頃の18番ホール。開場後も除去しきれなかったこんな大石が所々にごろごろしていてプレーヤーを悩ませた。

1956

1956
開場翌年に早くも始まった那須日光懇親競技のスナップ。第1回は日光で開催、以後毎年交互に開催し、今日まで途切れることなく続いている。

1956
程ヶ谷で行われた関東倶楽部対抗競技に初参加後の記念スナップ。成績は・・・・。

1957

1957
昭和32年に発行された日光カンツリー倶楽部会報第1号。

1958

1957
アウトのスタート小屋新設。インの方は7年遅れで設けられた。

1958
昭和33年、2度の台風襲来で水害被災。写真は、8月の台風17号で痛めつけられた8番ホール中央窪地の復旧作業風景。しかしこの労苦の成果も、1年後の数倍もの台風水害で文字通り水の泡と化すことになる。

1959

1959
開場5周年競技を明日に控えた昭和34年4月18日午後、ボイラー室付近からの出火によりクラブハウスの玄関から東の部分を消失。

1959
開場40年の歴史のなかで最大被害をもたらした昭和34年の台風7号および15号の水害の猛威。写真は水が引いた後、置き去りにされた大小の石が転がる17番フェアウエー。

1959
両台風とも典型的な雨台風で、堤防を突き破った大谷川の奔流がコース内を縦横無尽に踏みにじり、前年できたばかりのスタート小屋は陸の孤島と化した。

1959
7番グリーン裏の台風水害復旧作業。従業員総出の努力によって、予想外に早く仮開場にこぎつけた。

1960

1960
流出した橋のあとに復旧新設なったハウス前木橋。橋の向こうは修復中の練習グリーン。

1961

1961
新クラブハウス竣工。広々としたバルコニーを配した重量感のある建物となったが、木造の素朴な質感を生かした民家風の味わいは、旧ハウス時代から続く日光の顔のひとつとなっている。

1964

1964
社団法人日光カンツリー倶楽部設立許可証。

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開場10周年記念競技終了後の祝賀会で挨拶する古川尚彦理事長(第2代)。

1965

1965
昭和40年、第2回アジア・アマ選手権が日光で開催され、日本優勝。優勝カップを前に喜びのチームメンバーは、中央にキャプテンの細川護貞氏と左から選手の三上正彦、寺本昭洋、広瀬義兼、中部銀次郎の各氏。

1965
アジア・アマの大会終了後開かれたサヨナラパーティーで、キャディ中心の和楽踊りが披露され、各国の選手、役員から大喝采を浴びた。

1969

1969
時ならぬ大雪。4月中旬というのに積雪16センチの雪化粧にクローズ2日。この年の1〜4月のクローズ日は通算44日を数えた。

1973

1973
昭和48年夏、落雷によりキャディ1名を含む3名が死亡するという重大事故が発生し、緊急措置として導入した防雷用古バス。4台が各所に配置されたが景観上の問題もあり後に防雷用四阿に役目を譲った。

1979

1979
開場25周年記念競技1番ホールの加藤武彦理事長(第3代)のティーショット。

1987

1987
日光杉並木材を利用して新たに作り直したヤーデージ標示板。日光の距離表示は、昭和51年4月にそれまでのヤードからメートル標示に変更。53年10月にヤード標示に戻している。

1990

1990
第1回栃木県倶楽部対抗競技レディース大会が都賀カンツリー倶楽部で行われ、日光からも5選手が出場した。左から中村英子、岡本容生子、益子静子、田中弓子、飯沼恵子の各氏。

1990
強風で倒れた1番ホール横の柳の大木。平成2年春、台風並みの強風が吹き荒れ、松、柳など、コース内の倒木は280本に上った。

1993

1993
平成5年度関東シニア選手権の決勝競技が日光で開催される。日光での公式競技開催は、昭和40年のアジア・アマ、63年の関東アマ予選以来3度目。

1994

1994
平成6年10月22、23の両日、開場40周年記念競技を開催。写真は、22日の競技終了後の祝賀会で挨拶する楠本陽一郎理事長(第4代)。着席は、加藤武彦前理事長(左)と吉原武前キャプテン。

1996

1996
平成8年度第81回日本アマチュア選手権開催。初日コースレコード67を出した星野英正(東北福祉大1年生)がトータル279,9アンダーで優勝。写真は楠本陽一郎理事長と星野英正選手。(H 8.7.9〜12)

2000

2000
日光カンツリー倶楽部に数ある名木のひとつ、7番ホール左サイドクロスバンカー横の樅の大木通称クリスマスツリーに落雷。ゴルフ場創設以前から日光名物として親しまれたこの樹も、惜しまれつつその生涯を閉じることとなった。その替りの樅の木が移植され、成長中である。(H 12.8.9)

2002

2002
平成14年度関東アマチュアゴルフ選手権決勝競技開催。甲斐慎太郎(日体大3年)がトータル284,4アンダーで優勝。写真は右より楠本陽一郎理事長、甲斐慎太郎選手、高橋利之キャプテン。(H 14.6.11〜14)

2003

2003
平成15年度第68回日本オープンゴルフ選手権競技開催。深堀圭一郎がトータル8アンダー276ストロークで優勝。写真は最終日に大逆転劇を演じた深堀圭一郎プロ。(H15.10.16〜19)

2005

2003
平成17年、第10回4カ国チーム選手権(アマチュア)開催。太平洋を囲むゴルフ愛好国による対抗戦は、オーストラリア優勝、以下ニュージーランド、日本、カナダ、の順位で終了。その夜、金谷ホテルにて親睦会が催された。(H17.5.18〜20)